パブリックマーケットが燃えた。
その一報が入った時、自身の奥底にある決して代替し得ない一部が、そっと抜け落ちるような感覚が身体を駆け巡った。2015年にはじめてこの街を訪れた頃から、僕とバギオとの関わりを語るうえで欠かせない存在である唯一無二の場所。それが決して永遠であり得ず、二度とこの肉眼を通して見ることのできない過去になってしまうことへの実感は、時間をかけて徐々に僕の深いところへと浸透していった。パブリックマーケットが燃えた。そのフレーズを頭の中で繰り返す。現地の新聞が一面に掲げた見出しが目に入る。燃え広がる炎をとらえたモノクロの写真と共に、市場の悲劇をセンセーショナルに報じている。パブリックマーケットが燃えた。これまでに撮り溜めてきた膨大な写真たちを、少しずつ見返し始めた。
しばらくしてバギオを訪れた。パブリックマーケットが目の前に平然と広がった。燃えたはずのマーケットは、以前と何ひとつ変わらぬ姿で僕を出迎えた。安堵と戸惑いの感情が混ざり合う。1,700を超える露店に被害が及び、当初は数ヶ月に及ぶ閉鎖が予想された大火の名残は微塵もなかった。マーケットは驚異的な復活を成し遂げていた。まるで大きな生き物のようだ。僕は再びその広大なマーケットのカオスに飲み込まれていった。
フィリピン北部の都市・バギオの中心部に位置するパブリックマーケットは、その歴史を1900年代初頭まで遡ることができる。米軍統治時代、バギオはその冷涼な気候から、フィリピンにおける貴重な避暑地としての開発が進められた。今日のマーケットが広がる場所は、かねてからこの地域の先住民であるイバロイ族の人々が農産物や家畜の物々交換のために足を運ぶ集会所だったという。米軍主導の都市計画の中でも市民にとっての生活の中心としての位置付けは変わることなく、現在のマーケットの区画の基礎が形作られた。

その後、パブリックマーケットは次第に拡大しながら、度重なる壊滅を経験する。1945年の第二次世界大戦末期にはバギオ解放戦と呼ばれる激しい空爆を受け、マーケットを含む中心部が崩壊した。戦後、マーケットはいち早く再建し、バギオを含むコーディリエラ地域における物流の拠点として、また全国からの観光の拠点としての地位を築いた。
1990年にルソン島を襲った大地震は、パブリックマーケットにとって二度目の壊滅の経験となった。大きな揺れでマーケットの一部が崩落し、機能麻痺に陥った。商人たちは即座に立ち上がり、地震からの復興の象徴として劇的な復活を遂げた。
パブリックマーケットが継承してきた零細商人たちによる伝統的な商習慣は、1990年代後半以降、巨大ディベロッパーによる市場の民営化と近代的な再開発の圧力に直面してきた。マーケットの周辺には近代的な商業施設が次々と建設され、若年層を中心に消費の形も変わった。マーケットの零細商人たちは、地域の文化と自らの生活の保護を掲げて、絶えず押し寄せる大きな資本主義の波に抗い続けてきたのだ。
2023年の大火の際、バギオ市長はマーケットが担う市民生活における重要性に触れ、7日以内にその商売を再開させる「7日間」復旧宣言を出した。官民が一体となったこの動きは「Oplan Bangon Palengke(市場よ起き上がれ作戦)」と名付けられた。宣言通り、マーケットはすぐさま瓦礫を撤去し、多くの商人たちが商売を再開した。こうして成し遂げられた三度目の復活劇は、マーケットの歴史を更新し、零細商人たちとその文化のレジリエンスを象徴する出来事として語り継がれることとなる。
PUBLIC MARKET ARCHIVEは、バギオのパブリックマーケットにおける長期間のフィールドワークを通して、伝統的な商習慣や零細商人たちの仕事、そこに押し寄せる近代の資本主義の波との衝突を追ったリサーチプロジェクトである。2023年にマーケットを襲った大火の直後に、僕はそれまでの8年間にマーケットで撮影したすべての写真を自身のポートフォリオサイトで公開した。本書はそれらの写真に加え、大火以降に撮影された新たな写真とともに再構成されたものである。

パブリックマーケットは今も生きている。それは幾多の困難を経験し、その度に復活を遂げてきた、レジリエンスの歴史の上にある。崩壊した店はその場にあるもので即興的に作りなおす、ブリコラージュの精神が息づいている。数多の零細商人たちによって形作られるコミュニティでは、近代社会の大きなルールに乗らない独自の商習慣が、その複雑な関係性を紡ぎ、柔軟性を持って日々の出来事に応答する。巨大資本が支えるショッピングモールやテクノロジーの恩恵を受ける市民たちも、日々の生活のためにパブリックマーケットに足を運び続けている。繊細なバランスを模索しながら、伝統的なマーケットは、迫り来る資本主義の波との共存を選んできた。巨大な生き物の如く広がるマーケットの中に、急速な経済成長を遂げるフィリピン社会が今もなお失うことなく培ってきた、伝統的な暮らしが確かに存在している。​​​​​​​
タイトル:PUBLIC MARKET ARCHIVE
写真・デザイン・テキスト:牛丸維人
言語:英語・日本語
本文:モンテシオン 224P
表紙:コート+マットPP
綴じ:中綴じ
印刷:藤原印刷
発表:2026年4月
価格:6,000円+税
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