物心ついた頃から、その三角屋根の小屋はすぐそばにあった。
それは飛騨高山の山あいにある実家の、山に面した畑の端に昔から立っている。赤い屋根にベージュの壁、小さな窓、茶色いドア。小屋と呼ぶにはずいぶん大きく、一階は物置と木工のための作業部屋、二階にも広い物置がある。家屋と言われても信じてしまいそうな見た目だが、私は幼い頃からそれを小屋と呼んできた。
その小屋に入った記憶はほとんどない。子どもの自分にはきっと関係のないものが置かれていると信じていたし、どういうわけか入らないほうが良い場所なのだと思っていた。まるで自分が知る必要もなければ、知ってはいけないようなものがその内部にあるような感覚。すごく近いのに、とても遠い。幼い私にとって、その小屋は不思議で奇妙な存在であり続けてきた。
小屋は、私が生まれる前に亡くなった祖父が、その晩年に自ら設計したという。『koya』は、とある冬の日にハッセルブラッドのフィルムカメラをひとつ片手にその小屋に入ることから始まる。扉の向こうには、私の祖父と父、世代を超えて使われてきた空間が待ち構えていた。祖父が遺したものは、私が会ったこともない彼の輪郭を少しばかり教えてくれる。自身の幼少期に使っていたであろう椅子や玩具たちは奥の部屋にしまわれている。埃をかぶったものたちは、幼少期の虚ろな記憶に微かな光を提供する。父が現在も時折出入りする痕跡は、祖父の遺品のシルエットと重なり、世代を超えた血の存在を感じさせる。
静寂に包まれながらも確かに感じられる人の存在。閉鎖的な空間に漂う特有の時間感覚。死んだと思われていたものが生き、生きているはずのものから感じられる死のかおりが立ちこめる。小屋の中では、死者とその遺品が生者の感覚世界と交差していく。そこには外界とは全く異なる時間が漂い、生者はその中を彷徨うことしかできない。一連の写真たちは、生死を超えた時間の上で複雑に絡み合う自身と家族との関係性を問い直す試みである。
写真集 koya(私家版)
上製本
写真・デザイン・テクスト:牛丸維人
本文80ページ
糸かがり綴じ

130mm × 190mm
3,500円(+税)

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